【ブルネイ夫婦旅 第3話】夫婦で巡るブルネイの旅〜黄金のモスクに圧倒され、水上村カンポン・アイエルで感じた「生きた時間」

旅というのは不思議なものだ。出発前は「どうせまた同じような観光地を回るだけ」なんて思っていたりするのに、いざその場所に立ってみると、予想もしていなかったものに胸を打たれる。ブルネイ旅行もまさにそういう旅だった。今回は連載13回目として、最もブルネイらしさを感じた一日を振り返ってみたい。
朝、静かなホテルで迎えた新しい一日

バンダルスリブガワンのホテルで目が覚めたのは朝の6時過ぎだった。妻はまだ気持ちよさそうに眠っている。静かにカーテンを開けると、オレンジ色の朝日が街を照らし始めていた。
ブルネイの朝は早い。コーランの祈りの声(アザーン)が遠くから聞こえてきて、それがこの国の日常なんだと実感する。イスラム教国家でありながら、外国人旅行者にも非常に親切で居心地がいい。「今日は何を見ようか」と手帳に書き出しながら、インスタントコーヒーを一杯。こういう些細な時間が、旅の記憶の中で意外と長く残るものだ。
早朝の市街地を散歩する

朝食を済ませてから、妻と二人で街をぶらぶらと歩いた。ブルネイの市街地は思ったよりもコンパクトで、徒歩でも多くの場所を回れる。車通りも少なく、空気が澄んでいて、深呼吸するだけで気持ちがよかった。
「日本より空気がきれいかも」と妻が言った。確かにそうかもしれない。ブルネイは石油・ガスの収入によって国が豊かで、インフラも整っている。車は多いけれど、どこか緑が多く、圧迫感がない。街角にある小さなモスクから祈りの声が聞こえてくるたびに、ここが異国であることを優しく思い出させてくれる。
黄金のモスク——オマル・アリ・サイフッディン・モスクへ

今日の最初の目的地は、ブルネイを代表する観光スポット「オマル・アリ・サイフッディン・モスク」だ。1958年に建てられたこのモスクは、ブルネイ川に面した湖の中央に建ち、黄金のドームが空に輝く様子は圧巻のひとことに尽きる。
門をくぐる前から、その威圧感に少し緊張した。イスラム教の聖地だから当然マナーも必要だし、服装にも気を使う。長袖のシャツを羽織り、妻もスカーフを準備していた。門のアーチをくぐった瞬間、空気が変わったような感覚があった。

内部に入ると、その精緻さに言葉が出なかった。壁や天井を覆う幾何学文様のタイル、静謐な雰囲気、そして礼拝者たちの真剣な表情。観光客として足を踏み入れているにもかかわらず、自然と背筋が伸びる。「信仰って、こういうものなんだな」と思った。宗教の違いはあっても、何かを信じる力の尊さは、国境を越えて伝わってくる。

外に出てモスクを遠くから眺めると、黄金のドームが午前の光を受けてまばゆく輝いていた。湖面に映る逆さモスクも美しい。「これ、ずっと見ていられるね」と妻が言い、僕も頷いた。SNS映えとかそういう次元を超えた、本物の美しさがそこにあった。
意外な来訪者との遭遇

観光を楽しんでいると、突然近くの建物に猿が現れた。驚いて二人して笑ってしまった。ブルネイは国土の70%以上が熱帯雨林に覆われており、野生動物が街に近いところに生息している。「都市と自然の距離感がぜんぜん違う」と妻が言った通り、この国では自然がすぐそこにある。それが、ブルネイの大きな魅力のひとつだと思う。
ボートで向かう水上集落——カンポン・アイエル

午前中の後半は、ブルネイで最も印象的だった場所のひとつ、「カンポン・アイエル」へ向かった。ブルネイ川の上に建てられた水上集落で、その規模はなんと世界最大とも言われている。木造の橋で繋がれた家々には今も数万人が生活しており、「水上のベニス」と呼ばれることもある。

岸からウォータータクシー(小型ボート)に乗り込んで、集落の奥へと進んでいった。エンジンの音とともに水飛沫が顔にかかる。観光客向けの場所ではあるが、洗濯物が干してあったり、子供が走り回っていたり、おばあちゃんが窓から外を見ていたり——そこには確かに「普通の暮らし」があった。
水の上に住むというのは、どんな感覚なんだろうか。家の下は川、窓の外は川、生活のすべてが水と共にある。それは僕たちの暮らしとはまったく異なる世界だけれど、彼らにとってそれが当たり前の日常なのだ。旅をしていると、「普通」というものがいかに多様で、いかに相対的なものかを実感させられる。
ロイヤル・レガリア博物館——国の誇りと記憶

カンポン・アイエルの後は、ロイヤル・レガリア博物館(王室遺産博物館)へ。ブルネイのスルタン(国王)の戴冠式や国家儀式に使用された装飾品、馬車、衣装などが展示されているこの博物館は、入場無料であることに驚く。国民に国の誇りを示すための施設として、石油収入が潤沢なブルネイらしい豊かさを感じた。

館内では伝統音楽の生演奏が行われていた。金属製の打楽器が奏でる独特のリズムが空間に溶け込み、異国の地で時間が止まったような感覚になった。妻は目を閉じてじっと音楽に耳を澄ませていた。「この音楽、すごくいいね」とその後に彼女が言ったことが、なぜか今でも鮮明に記憶に残っている。
博物館を出ると、外の暑さが一気に体を包んだ。昼食は近くの食堂でローカルな料理をいただいた。甘みのある醤油ベースのソースが絡んだ炒め麺は、暑さで疲れた体に優しくしみた。
ウル・トゥンブロン国立公園——ボルネオの大自然へ

午後は一日の中で最大のハイライト、ウル・トゥンブロン国立公園へ向かった。ブルネイ本土から離れたテンブロン地区に位置するこの国立公園は、ボルネオ島の原生熱帯雨林が守られた場所だ。スピードボートで川を遡り、ジャングルの奥へと分け入っていく。
川の両岸にうっそうとした緑が迫ってくる。エメラルド色の清流、根を張り出した大木、鳴き声だけが響く鳥たち。「これが本物のジャングルだ」と体が反応した。都市の喧騒から完全に切り離された空間に、心が洗われていくような感覚があった。

上陸してトレイルに入ると、足元や木々に熱帯植物が溢れていた。中でも印象的だったのは、巨大なビカクシダだ。シダの一種で、鹿の角のような形をした葉が木々に着生している。日本では観葉植物として売られているものが、ここでは人の顔ほどの大きさで自生している。自然の力強さに圧倒された。

キャノピーウォーク(樹冠歩道橋)を上っていくと、ジャングルの天井部分、つまり木の頂上付近の世界が広がってきた。地上30〜40メートルの高さから見渡す景色は、圧倒的だった。どこまでも続く緑の海。その下には無数の命が息づいている。「これが地球の肺なんだな」と、なんとも言えない感動がこみ上げてきた。

トレイルを歩くと、土が柔らかく、葉っぱが湿っている。熱帯雨林特有の匂い——土と植物が混じった濃い香り——が鼻をついた。こういう感覚は、写真では絶対に伝わらない。体で感じるしかない。だから旅に出るのだ、と改めて思った。
樹冠の上でジップライン!
キャノピーウォークのハイライトのひとつが、ジップラインだ。ハーネスをつけて、木から木へとワイヤーを滑走する。高さは数十メートル、速度もなかなかのもの。最初は怖かったが、いざ滑り出すと「わーっ!」という声とともに、爽快感が全身を包んだ。
妻は「絶対やらない」と言っていたのに、周りの雰囲気に後押しされて挑戦した。着地した後、少し震えながらも「楽しかった!」と笑顔で言っていた。こういう表情を引き出せる旅ができてよかった、と本当に思った瞬間だった。

展望タワーの最頂部からの眺めは、旅の中でも特に記憶に残る景色のひとつになった。360度ジャングルに囲まれた場所で、風を感じながら二人で黙って遠くを見ていた。そういう沈黙が心地いい。言葉を交わさなくても同じものを共有できる、それが旅の中の特別な時間だと思う。
夕暮れのナイトマーケット——ブルネイの食と暮らし

ウル・トゥンブロンから戻った夕方、市内のナイトマーケットへ向かった。熱帯のフルーツが山積みになった屋台が並んでいて、色とりどりの果物に目を奪われた。ドラゴンフルーツ、ランブータン、マンゴスチン、ジャックフルーツ——日本では高級品が当たり前のように積まれている。試食させてもらったマンゴスチンの甘さに、二人して「これは違う」と感動した。

夕食は迷わずナシカトックにした。「ナシカトック」はブルネイの国民食で、白ご飯にサンバル(辛みそのようなもの)とフライドチキンが乗っただけのシンプルな料理だ。値段は驚くほど安く、地元の人たちが気軽に食べているものだが、その素朴な旨さが忘れられない。「これがブルネイの味か」と箸(フォーク)を持つ手が止まらなかった。

市場の野菜売り場を覗いてみると、日本では見かけない形や色の野菜が並んでいた。売り手のおじさんに目が合うと、笑顔で手を振ってくれた。言葉は通じなくても、笑顔は通じる。旅をするたびに、そのことを改めて感じる。旅は語学力より、笑顔と好奇心の方が大事だと思っている。
旅の締めくくり——ガジュマルの木の下で

夜市の帰り道、大きなガジュマルの木の前で足が止まった。幹は何本もの根が絡み合い、まるで大地をしっかりと抱き締めているようだった。何世代にもわたって人々を見守ってきたであろうこの木の前で、なぜか「ちゃんと生きよう」という気持ちになった。
ブルネイの旅を通じて感じたのは、「今ここで生きている」ということの豊かさだ。水上集落の人々も、ジャングルの動植物も、ナイトマーケットの屋台の人々も、それぞれの場所で今この瞬間を生きている。観光客として訪れる僕たちも同じで、この景色もこの時間も、今しか体験できない。
旅に出るたびに思う。お金は使えばなくなるけれど、記憶は消えない。体験した感動も、妻と笑い合った瞬間も、全部自分の中に積み重なっていく。それが「思い出貯金」だと僕は信じている。将来、歳をとって体が動かなくなった時、「あの旅は行ってよかった」と思えるように。後悔の少ない人生を送るために、今の自分ができることをやっておきたい。
ブルネイ。知名度は高くないかもしれないけれど、この国には本物があった。黄金のモスクの輝き、水上集落の生活感、原生林の静寂、そしてナシカトックの素朴な味。どれも、ここでしか出会えないものだった。次の連載では、ブルネイ最終日の様子をお届けする予定だ。
〔夫・執筆〕





