ヴァンヴィエンを離れて、僕たちは首都ビエンチャンへ向かった。連載#6で書いたカヤックの川下りの感覚がまだ手に残っていて、ミニバンの窓から流れる緑の山並みを眺めながら、妻が小さく「行ってよかったね」とつぶやいた。観光地としての派手さは正直そんなにない街なのに、なぜかこの旅で一番「ラオスらしさ」を感じたのが、このビエンチャンだった気がしている。

今回は連載第7回。海外旅行をきっかけに「今日を大切に生きて、将来のために思い出を貯金していこう」と決めた僕たち夫婦の、ビエンチャン3日間の記録です。


バスターミナルから市内へ、初日のぎこちない静けさ

ヴァンヴィエンから乗ったミニバンが、ビエンチャンの北バスターミナルに着いたのは午後2時すぎだった。首都の玄関口とは思えないくらいこぢんまりしていて、降りた瞬間にムワッとした熱気と一緒に、どこかゆるい時間が流れているのを感じる。「タクシー、市内まで定額だってさ」と妻に伝えると、「ラオスってチップとかどうするんだっけ」と返ってきて、二人ともガイドブックを見直すところから始まった。

ホテルにチェックインして荷物を置いた頃には、もう夕方近かった。最初の夜は無理せず、近くの食堂でフー(ラオスのフォー)を食べて、早めに寝ることにした。妻は「動かなきゃもったいない」と言いそうな性格なんだけど、この日は珍しく「明日からでいいよね」と言ってくれて、ありがたかった。


パトゥーサイの階段を登って見た、まっすぐな大通り

翌朝、最初に向かったのは「ラオスの凱旋門」と呼ばれるパトゥーサイ。パリの凱旋門を真似て造られたと言われていて、近づくほどにその大きさに驚かされる。妻が「これ、思ってたより全然大きい」と何度も言っていた。入場料は数千キープで、日本円にすると100円もしない。

内部の螺旋階段を登っていく途中、お土産を売る小さなブースが層ごとに並んでいた。展望台に着いたとき、息を切らした妻が「これ、ちゃんと運動になるね」と笑った。眼下にはラーンサーン通りがまっすぐに伸びていて、首都というより、整理された地方都市みたいな落ち着きがあった。

展望台のベンチに二人で並んで座って、しばらく何もしゃべらなかった。日本だと「次どこ行く?」って次の予定を考えがちだけど、ここではただ風に吹かれているだけで満ち足りていた。妻が「今、すごく贅沢な時間だね」と小さく言って、僕もそう思った。


黄金のタートルアン、夕方の祈りの時間

午後、ラオスの国章にも描かれている仏塔タートルアンへ向かった。45メートルの黄金の塔は、午後の光を受けて本当に金色に輝いていた。「写真で見たより、迫力あるね」と妻。この国の人たちにとっての心の拠り所なんだと、塔の周りを歩く地元のお年寄りや若い家族連れの様子から伝わってきた。

夕方の時間帯になると、地元の人たちが続々と集まってきて、線香を焚いて祈りを捧げていた。観光客はもちろんいるんだけど、あくまで日常のお祈りの場なんだということがよく分かる。妻が「邪魔にならないように見ていようね」と小さく言って、僕たちは少し離れた木陰のベンチに座っていた。

祈りを終えた小さな男の子が、お母さんに何かを話しかけながら満面の笑みで走っていった。その光景を見ながら、「ああ、僕たちもこういう日常の延長で生きているんだよな」と当たり前のことを改めて思った。旅って、目的地に着くことよりも、こういう小さな気づきを持ち帰るためにあるのかもしれない。


ナンプー広場の夕暮れ、噴水とビアラオの泡

夜は街の中心、ナンプー広場(噴水広場)へ。ここは地元の若者から観光客まで集まる定番スポットで、噴水の周りに飲食店が並んでいる。妻が選んだのはテラス席のあるカフェレストランで、メニューを見ながら「迷うなあ、全部食べたい」と楽しそうに笑っていた。

結局、ラープ(ラオスのハーブ和え)と焼き魚、そしてビアラオの大瓶を頼んだ。ビアラオは思っていたよりずっと飲みやすくて、東南アジアのビールの中でも一番好きかもしれない。妻が「日本に持って帰れたらいいのに」と本気で言うので、空港の免税店で探そうと約束した。

食事をしている間も、噴水のライトがゆっくり色を変えていく。日が暮れて、家族連れや若いカップルが広場で写真を撮ったりおしゃべりをしたりしていた。妻が「日本の地方都市の駅前の感じに、ちょっと似てるかも」と言って、確かに、ここに住む人たちの生活の場なんだと感じた。


メコン川沿いのナイトマーケット、対岸はもうタイ

食後、歩いてメコン川沿いまで出た。川辺にはチャオアヌウォン公園が広がっていて、その奥に夜だけ現れる赤いテントのナイトマーケットが並んでいる。ラオスの民族衣装シン、シルバーアクセサリー、Tシャツ、雑貨。妻はシルバーの小さなピアスに目を奪われていて、「これ、すごく可愛い」と言いながら値段交渉を楽しんでいた。

対岸はもうタイのノーンカーイで、街明かりが川越しにキラキラ見える。「あの灯りの向こうは、もう違う国なんだね」と妻。地図でしか分かっていなかった国境というものが、目の前にこんなに近く存在しているという事実に、少し感動した。日本にいると国境を視覚的に意識することなんてないから、なおさらだった。

川沿いのベンチに座って、買ったばかりのフルーツジュース(マンゴーとパッションフルーツのミックス)を二人で分けて飲んだ。ぬるい風がメコン川から吹いてきて、汗を冷ましてくれた。妻が「この瞬間、ちゃんと覚えておきたいな」と言って、僕もスマホで写真を撮るのをやめて、目で焼きつけることにした。


COPEセンター、知っておきたかったラオスの一面

3日目の午前中、僕たちはCOPEビジターセンターを訪れた。ここはベトナム戦争時代の不発弾被害者のための義肢支援を行う団体の施設で、ラオスがいかに大量の爆撃を受けたかという歴史を学べる場所でもある。観光地というより、社会見学のような重い時間だった。

展示を見ながら、妻はずっと黙っていた。子どもたちの体験談、義肢を使って再び歩けるようになった人々の映像。「楽しい旅行記の中にこういう話を書いていいのかな」と一瞬迷ったけど、書くべきだと思った。僕たちが「今日を大切に生きる」と言えるのは、こうやって平和に旅行ができる時代と場所にいるからこそで、それを忘れたくなかった。

センターを出たあと、近くのカフェで二人ともしばらく無言だった。妻が「行ってよかった」と一言だけ言って、僕も同じ気持ちだった。観光地のキラキラした部分だけを見て帰るんじゃなくて、その土地の本当の姿に少しでも触れる。それが「思い出を貯金する」ってことの本当の意味なのかもしれない、と感じた朝だった。


最後の夜、川沿いのレストランで交わした会話

ビエンチャン最後の夜、奮発してメコン川沿いのレストランで夕食を取ることにした。テラス席から見える夕日が、川の水面をオレンジに染めていく。妻が「この旅、いつまで覚えていられるかな」と言うので、「だからブログに書いてるんだよ」と返した。書き残しておけば、忘れたとしてもまた思い出せる。それが連載を続けている理由のひとつだ。

仕事の話、これからの話、両親のこと。普段の生活の中だとどうしても日々のタスクに追われて深く話せないことを、旅先だと自然に話せる。妻が「来年もまた、どこかに行こうね」と言って、僕は「もう次の行き先、半分考えてる」と返した。次は陸路でタイへ抜けて、バンコクからまた違うルートを探そうかと話している。


まとめ:「今ここにいる」という当たり前の幸せ

ビエンチャンの3日間は、観光地としての派手さこそなかったけれど、間違いなくこの旅の中で一番「ラオスという国」を感じられた時間だった。パトゥーサイの大通り、タートルアンの祈り、ナンプー広場の夕暮れ、メコン川越しのタイの灯り、そしてCOPEセンターで知ったこの国の歴史。一つひとつが、僕たちの「思い出貯金」にしっかり積まれた。

旅が終わるたびに、僕は思う。日常に戻ってまた仕事をして、家事をして、たまにケンカもする。それでも、こうやって年に一度か二度、夫婦で見知らぬ街を一緒に歩く時間があるかどうかで、人生の満足感はずいぶん変わる気がしている。「将来こうしておけばよかった」と後悔しないために、今のうちに、行けるうちに、二人で歩ける場所をもっと増やしていきたい。

次回・連載#8では、いよいよラオスを離れて陸路でタイ・ノーンカーイへ抜けた話を書く予定です。国境越えの緊張と、その先で出会った人たちのこと。よかったらまた読みに来てください。最後まで読んでくれてありがとう。けーちゃんでした。