【ブルネイ夫婦旅 第4話】ピンクモスクの静寂とコタキナバルで出会ったキナバル山の圧倒的な絶景

旅というのは不思議なもので、同じ場所を訪れても、その日の気分や光の加減、一緒にいる人によって見え方がまったく変わる。ブルネイ滞在も後半に入った頃、私たちは「ジャメ・アスル・ハサナル・ボルキア・モスク」をもう一度訪れてみようという気持ちになった。
以前に訪れたオマール・アリ・サイフディン・モスクとは雰囲気が異なり、こちらは地元のブルネイ人が普段の礼拝に使う”生活の中のモスク”として知られている。観光客向けに特別に飾り立てられた場所ではなく、人々の祈りが日々積み重なっている、そんな静けさが漂う空間だ。

モスクに近づくにつれ、まず目に入ったのはアーチ状の門だった。その向こうに広がる青空と緑の木々——外の喧騒が、ここに一歩踏み込んだ瞬間にすっと消えていく感覚があった。妻が「なんか、空気が違う気がする」とぽつりと言った。その通りで、祈りを捧げる場所というのは、宗教を超えて人を穏やかにさせる何かがある。

中庭に入ると、足元を覆う幾何学模様のタイルに目を奪われた。茶色と白を基調にした複雑な模様が広い広場全体に広がっており、どこから見ても美しい。イスラムの建築には偶像崇拝を禁じる教えがあるため、装飾は人物や動物ではなく、幾何学や植物文様が使われることが多い。その制約の中で生まれた美しさには、独特の静謐さと完成度がある。

モスクの内部は、息を呑む美しさだった。白い柱が整然と並び、その上に金色のシャンデリアが下がっている。天井の白い円形の装飾が重なり合う様子は、まるで宇宙のような広がりを感じさせた。礼拝の時間帯ではなかったため、内部は静かで、私たちの足音だけが響いていた。

壁に掲げられた時計板には、アラビア語で礼拝の時刻が記されていた。イスラム教では1日5回の礼拝(サラート)が義務付けられており、夜明け前・正午・午後・日没・夜と時間が決まっている。この国では、その礼拝の時間になるとモスクからアザーン(礼拝の呼びかけ)が流れ、街全体に響き渡る。最初は驚いたが、数日経つと自然とその音に体が慣れ、むしろ時間の区切りを感じさせてくれる心地よいリズムになっていた。
ブルネイの日常と、意外と知られていないもう一つの顔

モスクを後にして、車でブルネイの住宅街を流してみた。石油で潤う国だけあって、道路はきれいに整備され、家々の庭も手入れが行き届いている。ヤシの木や熱帯の木々が庭に植えられ、塀に囲まれた邸宅が続く。観光地のような派手さはないけれど、落ち着いた豊かさのようなものが街全体から漂っていた。

少し高台に上ると、ボルネオ島の緑が視界いっぱいに広がった。山の稜線が霞む先まで、延々と続く熱帯雨林。こんなに豊かな自然が残っているのは、ブルネイの国土の大部分が保護区として指定されているからだという。経済的な豊かさがあるからこそ、開発に頼らず自然を守ることができる——石油という資源が、皮肉にも大自然を守ることに貢献しているのかもしれない。
海から見るブルネイ——石油という国の礎

この日のもう一つのハイライトは、ボートに乗ってブルネイ湾に出たことだった。カンポン・アイエル(水上集落)はこれまで陸から見ていたが、海側から見るとまた違った表情を見せてくれる。波紋が広がる水面に、高床式の家々が静かに浮かんでいる。その後ろには緑の丘が続き、遠くには街のビルが霞んで見える。なんとも不思議な景色だった。

ボートが沖に進むと、遠くに石油精製施設が見えてきた。白いタンクが並び、煙突が立ち並ぶ巨大な施設。ブルネイの一人当たりGDPがアジアトップクラスに位置するのは、まさにこの海底油田のおかげだ。国民は税金がなく、医療費も教育費もほぼ無料。この国の豊かさの源がここにある、と思うと、遠くに霞む施設が急に違って見えてきた。
アドベンチャーパークとジャングルの息吹
午後はアドベンチャーパークへ。ジャングルに隣接した施設で、クライミングウォールやジップラインが楽しめる。妻が「やってみる!」と目を輝かせ、ヘルメットをかぶってクライミングウォールに挑んだ。高さは10メートルほどだろうか。手をかける岩(ホールド)を一つひとつ確認しながら、慎重に体を引き上げていく。応援する私の方がドキドキしていたが、妻は半分くらいまで登ることができた。「腕が売り切れた……」と言いながら降りてきた顔は、達成感で満ちていた。


パークの周辺はジャングルに接しており、少し歩くだけで熱帯雨林の空気に包まれる。上を見上げると、木々が光を競うように空に向かって伸びていた。まるで自然の大聖堂の中にいるようで、少し敬虔な気持ちになる。



足元に目を落とすと、地衣類や苔に覆われた植物が密生している。地面から突き出た黒い植物の穂——サトイモ科の花だろうか——は、不思議な存在感を放っていた。こういう小さな発見が積み重なって旅の記憶になっていく。何年も経ってからこの写真を見返したとき、きっとこの独特の匂いや湿気のある空気を思い出すだろう。
地元の温かいおもてなし

この日、ご縁があって地元の方の家にお邪魔する機会があった。何かにつけて「まあ飲んでいきなさい」と勧めてくれるのは、東南アジアの人々に共通するホスピタリティだと思う。小さなグラスに一杯ずつ丁寧に注がれたお茶——砂糖が入った甘いお茶だった——を口に含むと、汗をかいた体に染み渡った。

食事にも招いていただいた。バナナの葉を敷いた白い皿の上に、こんもりと盛られたナシ(ご飯)。その上に散らされたフライドオニオンが香ばしく、きゅうりとお漬物が添えられたシンプルな一皿だ。口に運ぶとジャスミンライスの甘い香りが広がり、素朴ながらも満足感がある。「旅先でいただく家庭の味が一番ごちそうだ」と改めて感じた瞬間だった。
コタキナバルへ——ボルネオの大自然と出会う旅
ブルネイ滞在中に、隣国マレーシアのサバ州コタキナバルへ日帰りで足を伸ばした。ブルネイからコタキナバルは飛行機で1時間足らず。同じボルネオ島にありながら、全く異なる国の風景が広がっている。

コタキナバルに到着してまず向かったのは、街の中心部にある黄色い展望塔だ。サバ州らしい素朴な観光スポットで、螺旋階段を上ると街が一望できる。派手な観光地ではないけれど、こういう地味なスポットに立ち寄るのが旅の醍醐味の一つだと思っている。

その後、キナバル国立公園へ向かった。入口の看板には「TAKE NOTHING BUT PHOTOGRAPHS, LEAVE NOTHING BUT FOOTPRINTS(持っていくのは写真だけ、残すのは足跡だけ)」という言葉が刻まれていた。何百回も見たフレーズだけど、この場所でこれを読むと違う重みがある。世界遺産にも登録されたこの公園は、ボルネオ固有の動植物の宝庫だ。


そして、キナバル山との対面。標高4,095メートル、東南アジア最高峰のその山は、雲に半分隠れながらも、圧倒的な存在感で私たちの前に立っていた。麓から見上げる山というのは、どんなに大きな写真で見ても実物には勝てない。空気感、スケール感、その場の静けさ——全部ひっくるめてはじめて、山というものの本当の大きさが伝わる。
妻と並んで、しばらく無言でキナバル山を眺めた。雲が少しずつ動き、山頂が見え隠れするたびに「あ、見えた!」と声が上がる。そんな他愛もない時間が、旅の中で一番豊かな瞬間なのだと、最近つくづく思う。
旅が教えてくれること
今回の旅を振り返ると、「今日を大切に生きる」ということの意味を、何度も考えさせられた。日本で普通に仕事をしていると、明日の締め切り、来月の売上、来年の目標——そういった未来ばかりを見てしまいがちだ。でも旅に出ると、今目の前にある景色を、今この瞬間の空気を、今隣にいる人を、ちゃんと感じることができる。
モスクの静けさ、ジャングルの匂い、キナバル山の雄大さ、地元の方から受けた温かいおもてなし——これらはすべて、「今」しか体験できないものだ。写真や動画は残せても、その瞬間の感覚は消えてしまう。だからこそ、旅先では意識してカメラをしまい、目で見て、体で感じる時間を作るようにしている。
40代になってから、「後悔の少ない人生」というものを真剣に考えるようになった。お金はある程度あれば十分だが、時間と健康は取り戻せない。「いつかブルネイに行ってみたい」と言いながら行かなかったら、それは一つの後悔になる。だからこそ私たちは、思い切って旅に出ることにした。そして毎回、その決断が正しかったと確信する。
キナバル山を後にして空港に向かう車の中で、妻が「次はどこ行こうか」とスマホを開いていた。私は苦笑しながら、「まずはこの旅を完走してからじゃないか」と返した。それでも、次の旅の話をするときの楽しさは、旅そのものの楽しさと同じくらい大切な時間だと思っている。
連載はまだ続きます。次回もブルネイ旅行記をお楽しみに。





