こんにちは、けーちゃんです。前回までの連載でラオスの首都ビエンチャンまでの旅をお話ししてきましたが、今回は妻と一緒にメコン川を渡り、いよいよタイ側のノンカーイへと足を伸ばした日々を書き残しておきたいと思います。国境をまたぐというだけで、こんなにも空気の色や人の表情が変わるのかと、橋の上で思わず妻と顔を見合わせた一日でした。

「今日を大切に生きて、将来の自分のために思い出を貯めておこう」。そんな小さな合言葉を胸に出かけたこの旅も、もう後半戦。あの日の風景や音や匂いを、できるだけそのままお届けできたら嬉しいです。


ビエンチャンの朝、メコンを越える

朝の七時すぎ、ホテルでフォーをすすってからタクシーに乗り、ラオス・タイ友好橋に向かいました。出国スタンプを押してもらうとき、係員のおじさんが「タイで楽しんでこい」と片目をつぶってくれて、それだけで気持ちがほぐれていきます。妻はビエンチャンで買ったスカーフを首に巻き直しながら、「なんだか卒業式みたいな気分だね」と笑っていました。

シャトルバスの窓から見えたメコン川は、夕方の入り口の柔らかい光を浴びて、薄紅色に染まっていました。ラオスの国旗が小さくはためいているのが見えます。国境を越えるこの数分間、僕は携帯の写真を撮るのも忘れて、ただぼんやり川を眺めていたんです。思えば若いころは、こういう静かな時間を「もったいない」と感じていた気がします。でも今は、「写真に残らなかった景色こそ、いちばん覚えていたいもの」と思えるようになりました。

タイ側のノーンカーイ・イミグレーションは、午前中のせいか思ったより空いていました。天井の高いホールに、税関の小さなトラックがぽつんと止まっていて、どこか映画のセットのよう。妻が「ちょっと、私たち本当にラオスからタイに歩いて入ってきたんだね」と興奮気味に話しかけてきて、そうだよなあ、こうして二人で歩いて国を越えるなんて、東京で日々を回しているだけだったら一生なかった経験だなあと、しみじみ思いました。


仏像公園サラ・ケオクーで、時間がふっと止まる

ノンカーイに着いて最初に向かったのは、町外れにあるサラ・ケオクーという仏像公園でした。ビエンチャンで見たブッダパーク(ワット・シェンクワン)と同じ作家が手がけたといわれる場所で、巨大な石像たちが、敷地のあちこちに静かに立っているんです。番号札が振られたコンクリートの像は、どれも少しユーモラスで、それでいて妙な迫力がありました。

入口近くには、樹齢どれくらいだろうという大きな木が、参道の真ん中で枝を広げていました。風が通るたびに葉がさらさらと鳴って、「ああ、これは、急いではいけない時間だな」と肩の力が抜けていきます。妻はその木の下のベンチに座って、しばらく動きませんでした。「ねえ、私たちが家を買おうかどうか迷ってた頃のこと、覚えてる?」と、唐突に切り出された会話。あの時さんざん悩んで、結局頭金を旅費にも回せる額に抑えたんですよね。「今思えば、あれで正解だったね」と妻はぽつり。木陰でする話としては、ちょっと重めだけど、その重さがちょうどいい午後でした。


プルメリアの香りと、川沿いの散歩

公園を出て、メコン沿いの遊歩道をのんびり歩きました。そこかしこにプルメリアの木があって、白と黄色の花が低い位置にいくつもぶら下がっています。妻が一輪つまんで匂いを嗅ぎ、「南国の匂いってこういうのだよね」と僕の鼻先に近づけてきました。甘くて、少しだけ青くて、たぶん来年の今頃にこの香りに出会ったら、僕はこの遊歩道の景色をすぐに思い出します。

桟橋には、観光客向けの遊覧船が黄色い旗をひらつかせて並んでいました。手前の花壇いっぱいに咲いていたのはマリーゴールド。タイの仏花としてもよく使われる花だそうで、船の派手な色と相まって、まるでお祭りのあとの静けさみたいな景色でした。「今日、夕日まで時間あるね。船には乗らずに、ただぼーっとしようか」と妻が言って、僕も全力で頷きました。若い頃の旅は『元を取らなきゃ』とアクティビティを詰め込みがちだったけれど、歳を重ねてからの旅では、何もしない時間にこそお金を払っているような気さえしてきます。


燃えるようなメコンの夕日と、二人の沈黙

夕方、宿のテラスから見えたメコンは、見渡すかぎりの草原の向こうにオレンジの太陽を抱えていました。地平線にちょこんと頭を出した街並みの向こう側はもうラオスです。「半日前まであっち側にいたんだよね」と妻が指差した方角に、僕も合わせて目をやって、なんだか自分の人生の地図がほんの少し書き換わったような気がしました。

もう一段太陽が落ちると、空はぐっと色を濃くして、川面まで赤く染まっていきます。あまりにも見事で、近くにいた欧米人の旅行者も、子連れのタイ人家族も、しばらく誰もしゃべらなくなりました。夕日の前ではみんな平等で、言葉もいらないんですね。

カメラを構えると、レンズの中にぽつんとピンクのハレーションが浮かびました。「失敗写真だなあ」と一瞬笑ったけれど、家に帰ってから見返すと、むしろこの一枚がいちばんあの夕方の感じを残してくれているように思えます。完璧じゃない記録のほうが、未来の自分にちゃんと「あの空気」を運んでくれることって、ありますよね。

最後は、太陽が森の輪郭の上にぽってりと乗っかったような、奇妙に大きな夕日でした。民家のシルエットの上を、ゆっくりゆっくり沈んでいきます。妻は「ねえ、私たち、あと何回、こんな夕日を一緒に見られるんだろうね」とぼそっとつぶやきました。答えに困る質問だったので、僕は「あと数百回は見ような」とだけ返したら、妻は「欲張りだなあ」と笑っていました。たぶん、それくらいでちょうどいいんだと思います。


夜の街、ฅีตกวีで地元のごはんと生演奏

夕日のあとは、宿のスタッフが「うちの町のいちばんいいレストランだよ」と教えてくれた、ฅีตกวี(キータカウィ)という店へ歩いて向かいました。看板には小さな寺院の絵と、「เมืองแห่งความแซ่บ(おいしさの街)」みたいな文字が踊っていて、それを見ただけで、もうお腹が鳴ります。

店の入口にはホームステイも併設されていて、KEETA KAWEE / HOME STAY CHIANG WAE と書かれた木の看板。白い祠のような飾りが両脇にあって、夜になるとぼんやりライトアップされていました。扉を押すと、奥からふんわりとレモングラスの匂いが漂ってきます。

席に通されてしばらくすると、店の奥のステージで男性四人組による生演奏が始まりました。二胡のような弦楽器を弾く方、伝統的な笛を吹く方、太鼓を叩く方。白いシャツに身を包んだ皆さんは観光客には目もくれず、ただ自分たちの音を奏でていて、そのストイックさにかえって心を持っていかれます。妻はビアラオの最後の一杯(ここはタイなのでビアシンですが)を傾けながら、「家にいたら絶対に出会えなかった音だね」と小さくつぶやきました。

料理はご覧の通り、テーブルが見えなくなるくらいの大盤振る舞い。蒸し魚、海老の春雨煮、空芯菜、麻婆豆腐に、丸々一羽の鴨、揚げパン、餡入りの一口饅頭まで。実は奥の席に大きな宴会のグループがいて、「これは隣の卓のお祝いに招かれた写真です」と書きたいくらいの豪華さですが、二人で頑張って半分食べて、残りはお店の方が「明日の朝にどうぞ」とパッキングしてくれました。東南アジアのこういう緩さ、本当に好きです。

翌朝の宿のごはんは、また別の店でいただいた一皿。黒い皮のままグリルされた淡水魚、海老と季節野菜の炒め物、ジャスミンライスはあの可愛い藁の入れ物に山盛りで。派手さはないけれど、毎日食べても飽きないような優しい味で、これこそ旅の朝にほしかったやつ、と妻と頷き合いました。

印象的だったのは、宿の女将さんが出してくれた一品。蓮の花びらと蝶豆の花を散らしたバナナの葉の上に、小さな前菜がちょこんと乗っていて、「うちの庭で今朝採ったのよ」と笑っていました。見た目の美しさだけじゃなくて、その手間のかけ方が嬉しくて、写真を何枚も撮らせてもらいました。「いつかこういう器の使い方、家でも真似してみたいね」と妻に言ったら、「じゃあ帰ったらバナナの木でも買う?」と冗談で返されました。


ウドンタニーへ、もう一度あの蓮の湖へ

翌日は、連載の前半でも訪れたタレーブアデーン(紅い蓮の海)へ、もう一度足を運びました。前回は満開のシーズンど真ん中に行きましたが、今回は朝早くの、まだ少し露が残っている時間帯。湖面いっぱいに咲き誇るピンクの蓮の中を、青みがかった黒い水鶏(バン)がゆっくり歩いていました。あれだけ大量に咲いているのに、一輪ずつ近寄って見るとどれも形がちょっとずつ違って、「自然のものに『同じ』はないんだなあ」と妻と話しながら、ボートをそろりと進めてもらいました。

船頭さんに頼んで、エンジンを切ってもらった瞬間がいちばんよかったです。風の音、遠くで鳥が鳴く音、妻が水面に手を伸ばす音。「忙しい毎日に戻ったら、この静けさを思い出すために来てるのかもしれないね」と僕が言うと、妻は「うん、貯金じゃなくて、貯(た)め思い出だ」とうまいこと言って、二人で笑いました。そう、僕らはお金を貯めるみたいに、思い出も貯めているのかもしれません。

陽が高くなってくると、蓮はだんだん花びらを閉じていきます。ピンクの絨毯がじわじわと小さな点描に変わっていく様子は、まるで時間そのものが見えるようでした。前回ここに来たときは「来てよかった」で終わっていたけれど、今回は「来てよかった、もう一度来てよかった」という気持ちが胸に積み重なって、なんだか妙に泣きそうになりました。

船を岸に戻してもらう途中、湖の中ほどで一度だけ振り返りました。遠くにうっすらと、ピンクの帯が水平線のように残っていて、それがあまりに儚くて、僕は「やっぱり来年もここに来よう」と妻に言いました。「うん、来よう」と返事は軽かったけれど、二人で「次の予定」を口に出せるって、それだけで贅沢な時間です。


まとめ — 「いつか」を待たずに、今日を一日ぶん使い切る

ビエンチャンからメコン川を越えて、ノンカーイ、そしてもう一度のタレーブアデーン。今回の旅で僕がいちばん噛みしめたのは、「いつか行こう」を「今、行こう」に書き換えるたびに、人生の景色が少しずつ厚くなっていくということでした。確かに毎月の家計簿は緊張しますし、休みを取るために職場で頭を下げる回数も増えます。でも、夕日の前で言葉を失った時間や、蓮の湖で船のエンジンを切ってもらった数分間は、どんな貯金にも勝る「思い出の貯蓄」になっていると、心の底から思えるんです。

妻と一緒に旅を始めた頃は、二人とも「老後にゆっくり海外でも」と話していました。でも、ある時期に大きな病気を経験した友人を見て、「『いつか』は来ないかもしれない」とはっきり気づいてからは、毎年少しずつでも、こうして二人で出かけるようにしています。将来の後悔をゼロにはできないけれど、最小限にすることはできる。そのささやかな積み重ねが、僕らなりの幸せの形なのかもしれません。

次回はノンカーイから国境列車に乗って、さらに南へと足を伸ばしたお話を書く予定です。長くなってしまいましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。それではまた次の連載でお会いしましょう。