夫婦で巡るラオス旅〜ヴァンヴィエンの熱気球と洞窟で気づいた「今を生きること」の大切さ【連載#5】
「あとで行けばいいか」って、何度そう思って後悔してきたんだろう。
旅に出るたびに感じることがある。今日という日は、二度と戻らない。当たり前のことなんだけど、日常に追われているとそれを忘れてしまう。ラオスのヴァンヴィエンに来て、改めてそのことを思い知らされた。今回はその旅の話を書こうと思う。
夕暮れのリゾートに降り立って
ヴァンヴィエンのホテルに着いたのは夕方4時過ぎ。荷物を部屋に置いて、まず敷地内をぐるっと歩いてみた。伝統的なラオスの建築様式を取り入れた木造の建物が並び、その間に整然と刈り込まれた芝生。ランタン型の装飾照明が点在していて、夕暮れ時の柔らかな光の中でじんわりと灯り始めていた。プールサイドには白いサンベッドが並んでいて、誰もいないそのスペースが、まるで私たち夫婦のために用意されているかのような静けさだった。

「これ、ほんとにラオス?」と夫が言った。東南アジアにこういう場所があるとは知っていたけれど、実際に来るとやっぱり驚く。日本にいるとなかなか有給を取る踏ん切りがつかなくて、「いつか行こう」と思い続けていた場所だ。来てみて改めて思う。来てよかった。

ガーデンの奥には小さなプールがあって、熱帯植物が生い茂る緑の中に青い水面が覗いていた。今日はもう疲れたので入らなかったけれど、「明日の朝イチで入ろう」と夫と約束した。こういう小さな楽しみが、旅の日々を豊かにしてくれる。
朝6時、空を見上げたら熱気球がいた
翌朝、6時に目が覚めた。カーテンの隙間から光が漏れていて、なんとなく外に出たくなった。ホテルの敷地を出て、ナムソン川沿いの道を少し歩いていると……空に色とりどりの丸いものが浮かんでいた。
熱気球だ。
一個、二個、三個……数えてみると5つ以上の気球が、青い空の中にゆったりと浮かんでいる。ヴァンヴィエンは熱気球フライトで有名な街だと聞いていたけれど、こうして地上から眺めるだけでも十分すぎるほど美しかった。

あわてて夫を起こしに戻った。「ねえ、熱気球!早く来て!」と半ば叫ぶようにして部屋のドアをノック。ねぼけた顔で出てきた夫も、外に出た瞬間に目が覚めたようだった。「うわっ、すごい」と声を漏らして、しばらく二人で黙って空を見上げた。

川岸の砂利道を歩きながら、気球を眺め続けた。対岸の岩山の木々のシルエットを背景に、カラフルな気球が風に流されてゆっくりと動いていく。朝の空気はひんやりしていて、でも清々しくて、「こんな朝を迎えられることが、旅の醍醐味だな」と心の底から思った。

川のほとりには古い石積みの土手があって、熱気球のフライト基地がある方向からはバーナーの音がかすかに聞こえてくる。「来年は乗ってみたいね」と夫が言った。「うん、絶対乗ろう」と私も即答した。行きたいと思ったなら、「いつか」ではなく次の旅で。それが私たちの約束だ。
ナムソン川に並ぶロングテールボート
ホテルに戻る前に、川沿いをもう少し歩いた。川べりには色鮮やかなロングテールボートが何艘も並んでいて、地元の人たちが乗船客を待っていた。向こう岸には大きなホテルが建設中で、クレーンが動いていた。急速に発展しているヴァンヴィエンの「今」を切り取ったような光景だった。

10年前の写真を見ると、ヴァンヴィエンはもっとバックパッカー向けのローカルな街だったらしい。今はリゾートホテルが増えて、観光地としての整備が進んでいる。発展することは良いことだと思いつつ、「変わる前に来られてよかった」とも感じる。旅先の景色は、いつまでも同じではない。だから今、ここに来たことが、後になって「あの頃の記憶」になるんだ。
タムチャン洞窟、青い光の中の異世界
午前中の観光メインは洞窟探検。ヴァンヴィエン郊外にあるタムチャン洞窟を訪れた。入口でヘッドライトを借りて、急な階段を下りていく。洞窟の中は外気とは全然違う、ひんやりとした空気が漂っていた。

中に入ると、青い照明に照らし出された鍾乳石がそこかしこに迫り出していた。自然の造形物がこんなにも複雑で、こんなにも美しいものだとは思っていなかった。何万年という時間をかけて作り上げられたその形を見ていると、人間の「時間の感覚」がいかに小さなものかを痛感する。

洞窟の奥には仏像が安置されていて、ラオスの人々の信仰の深さを感じた。暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる仏像。観光地としての顔を持ちながらも、そこはちゃんと聖域であり続けていた。夫は「映画のセットみたい」と言っていたけれど、私にはなんだか現実の外側に来たような、不思議な感覚があった。
洞窟を出て太陽の光を浴びた瞬間、「生きてる」と感じた。大げさに聞こえるかもしれないけど、暗闇を歩いたあとで光の中に戻ると、日常の当たり前が当たり前じゃないことに気づかされる。こういう体験が、旅をただの「観光」ではなく「生きることの確認」にしてくれる気がする。
夜はリゾートで贅沢なコースディナー
夕食はホテルの本格レストランで。旅の途中でこういう贅沢をするのはちょっと勇気がいるけれど、「今日じゃなければいつするの?」という気持ちで予約した。席につくと、まずパンとバターが運ばれてきた。

焼きたての白パンに、小さなバターのロゼットが添えられている。シンプルだけど、その丁寧さに心がほっとした。メニューにはスモークダックのスープ、ティラピアのポワレ、デザートはシャーベットとアイスクリームのセレクション。こんな本格的なコース料理をラオスで食べられるとは思っていなかった。
二人でゆっくり食事しながら、「この旅に来てよかったね」と改めて話した。夫は「お金を使うことへの罪悪感があったけど、これは必要な出費だと思う」と言った。それがすごく嬉しかった。お金は使うためにある。でも使い方には差がある。「思い出」に使うお金は、消えていくのではなく、自分の中に積み上がっていく貯蓄だと私は思っている。旅先での一皿は、帰国後もずっと二人の話題に上り続ける。
仏像公園の彫刻に圧倒された午後
翌日は少し足を伸ばして、仏像公園(ブッダパーク)を訪れた。ラオスとタイの文化が混ざり合ったユニークなスポットで、ヒンドゥー教と仏教の神々の彫刻が広大な敷地に立ち並んでいる。

圧巻だった。コンクリートで作られた巨大な神像や動物像が、緑の芝生の上に無数に並ぶ様子は、現実離れした異様な迫力があった。ここを作ったルアン・プー・ブンルアという芸術家兼宗教家は、自分のビジョンに従って何十年もかけてこの空間を作り上げたという。一人の人間の信念と執念が形になったものを見て、「人生でやりたいことは、やらないと誰もやってくれない」と思った。
観光客に混じってラオス人の家族が写真を撮っていた。子どもたちが笑いながら像の周りを走り回っている。宗教的な場所でありながら、とても生き生きとした空間だった。地元の人たちにとっての「日常」が、旅人の私たちには「非日常」に映る。それが旅の面白さのひとつだと思う。
再び赤い蓮の湖へ——朝の光の中で
この旅の締めくくりに、以前の記事でも書いたタレーブアデーンの蓮の湖に再び立ち寄る機会があった。前回は夕暮れ時だったが、今回は早朝に訪れた。

朝の光の中の蓮の湖は、また違う顔を見せてくれた。ピンク色の花びらが水面に揺れ、その間を小さな水鳥がゆっくりと歩いている。前回は感動のあまり言葉もなかったけれど、今回は「ああ、また来られた」という親しみと感謝の気持ちが先に来た。気に入った場所には何度でも来ていい。大好きな景色を「思い出の貯金」に何度でも足していい。

湖の真ん中まで船で出ると、360度どこを向いても蓮の花が続いていた。水平線のような感覚。どこまでもどこまでも続く赤とピンクのグラデーション。写真に収めたくて何枚も撮ったけれど、この広さと静けさはやっぱり写真では伝えきれない。「来たことのある人にしかわからない感動」というのが世の中にはある。そしてそれは、来た人だけが手に入れられる財産だ。
旅が終わって思うこと
ヴァンヴィエンで過ごした数日間は、思っていた以上にいろんなことを考えさせてくれた。熱気球の朝、洞窟の暗闇、豊かな夕食、仏像公園の圧倒的な彫刻群、そして蓮の湖の静寂。どれも「今ここでしか体験できないもの」だった。
旅費を出すのに躊躇した夜があったことを正直に書く。「この費用、老後の資金にまわすべきじゃないか」と思う自分がいた。でも今は思う。老後に「あの時行っておけばよかった」と後悔するくらいなら、今行く方がいい。思い出は、使えば使うほど増える貯金だから。
体が動く今、一緒に旅できるパートナーがいる今、この瞬間を大切に過ごすこと。そしてその積み重ねが、将来の自分を豊かにする。後悔しない人生というのは、何もしないことではなくて、やりたいことを「今」やり続けることだと、この旅で改めて確信した。
次の記事では、この旅でもう一か所訪れた場所の話を書く予定。読んでくれてありがとうございました。
✈ けーちゃん






